殷賑を極めた霊地

かつて、この地は3つの神社が鎮座し、さらに、7つの寺院がこれを囲んで大きな霊地を形成していた。また、水戸から奥州に通ずる棚倉街道に面し、交通の要地でもあり、門前町、宿場町として、殷賑をきわめていた。現存している下宿、中宿、門前の地名や藤屋、伊勢屋、池下屋などの屋号はこれを物語っている。静を中心に郷名を倭文郷と称したが、起こりは倭文神の神名によるもので、倭文を「シドリ」と読むのは、「常陸風土記」(713年)にある「静織の里」の「シツオリ」の約言でもある。
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