静神社 見どころ


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  021:  常陸風土記
常陸風土記 「久慈の西 静織の里は昔まだ、機を織る人がいなかった時に初めてこの里で織った。このためにこの名がある。」と記されている。 

  022:  陣太鼓
陣太鼓 水戸藩 徳川斉昭公の時代の陣太鼓
神楽殿所蔵

  023:  静神社と三条実美
静神社と三条実美 三条実美公爵書による 静神社掛け軸
 三条 実美公(さんじょう さねとみ)
天保8年2月7日(1837.3.13)-明治24年2月18日(1891.2.18)京都市梨木町邸の堂上公家に生まれる。
幕末明治期の公卿、政治家。明治復古の元勲。
諱:実美。幼名:福麿。変名:梨木誠斉・美。雅号:梨堂。
父は正一位右大臣三条実万、母は土佐藩主山内豊策の娘紀子。家臣の尊攘志士富田織部の訓育を受け、漢学者志士池内大学に学んだ。嘉永2年12月叙爵、安政元年2月兄公睦の死去により父実万の嗣子となる。安政6(1859)年、大老井伊直弼の弾圧を受けて父実万が辞官落飾となったことから、政争に巻き込まれ、次第に尊攘思想を強めていった. 文久2(1862)年9月従三位に叙し、権中納言に推任せられ、翌月議奏となり、同年12月国事御用掛に補せられた。実万の遺志を継いで朝権回復、攘夷の遂行をもってその任とした。尊攘運動はこの年の後半から最盛期を迎えるが、実美は公家尊攘派の中心となって公武合体派の公岩倉具視を弾効、10月には攘夷決行、新兵選貢の勅令伝達の別勅使として江戸城に赴き幕府に攘夷の実行を督促するとともに勅使の待遇を改めさせ、朝幕の力関係の逆転を策した。 同年江戸に下り、以来尊攘派公家の中心人物として、長州藩と提携して活躍した。


  024:  歳旦祭を待つ参道行灯
歳旦祭を待つ参道行灯 初詣を待つばかり 150段の両脇に並ぶ行灯

  025:  手接足尾神社
手接足尾神社


那珂市静の静神社の境内右後方には,「末社 手接足尾神社」が鎮座します.このほど装いも新たに建て直しがなされました。山深い木立の中に、素晴らしい社が造られました。昔から手と足の安全,健康 の守護神として信仰が厚く,祈願のさい手足の用具である「手差し」,「草履」等を供えて 願をかける風習がいまだに残っているそうです。車のなかった時代は徒歩で旅に出かけましたし、農作業をやるにも、手作業でした。手足の安全が信仰の対象となったのもわかる気がします。