水戸藩と静神社
静神社は代々の水戸藩の祈願所とされた。特に徳川光圀公は寛文7年(1667年)に仏寺を分離し、唯一宗源の神道に改め、本殿、拝殿、神門、玉垣、神楽殿等を新たに造営神楽乙女8人、神楽男5人をおいて大神楽を奏した。しかし、これらの社殿は天保12年焼失、神宝、古文書等を失った。現存は徳川斉昭公によって再建されたもの。
常陸の国 二の宮
かっての茨城(常陸の国)の鹿島神宮に次ぐ、二の宮として、崇められた。参道の入り口の石碑
由来
那珂市の由来看板
大檜ほか那珂市指定文化財となっている。
大檜ほか那珂市指定文化財となっている。
木立の中の静神社
石段を上っていくと木立の中に静神社が現れる
静神社神門
150段の階段を上り詰めると神門に達する